今は何気なく飲んでいる紅茶。でもこの紅茶、歴史を大きく揺るがす大事件を引き起こしています。それが「ボストン茶会事件」です。
ボストン茶会事件の背景
イギリス植民地時代のアメリカには、本国同様喫茶文化が流行していました。本国のティーガーデンを真似た娯楽施設まであったようです。植民地でのお茶の需要に目を付けたイギリスは、1767年にダウンゼンド法という税制法を制定しお茶をはじめガラスや紙に税金が課せられました。
この税法により、イギリス本国製品の不買運動、さらにはボストン大虐殺事件が起こります。世論の反発が強まり、イギリス本国はこの税法を撤廃。しかしお茶に課す税金だけは残りました。
この茶税から逃れるように、アメリカ植民地側はイギリス以外の国の商人からお茶を密輸します。そうすると、イギリスは大量の在庫を抱えることになります。
そこでイギリスは1773年、お茶の密輸入を禁止し、さらに植民地でのお茶の独占販売権をイギリス東インド会社に与えるという内容の新たな茶法を制定しました。
これに人々が黙っているはずがありません。各地で東インド会社のお茶販売人を襲撃するなどの事件が起こります。
そして、1773年12月16日夜。アメリカ植民地人の急進派約50名が、ボストン港に停泊中のイギリス東インド会社の貨物輸送船を急襲。「ボストン港をティーポットにする」と叫びながら342個の茶箱を海に投げ捨てました。
これを機に、ボストン港だけでなく各地の港で同様な事件が連続的に発生し、最終的に独立戦争へと発展していきます。
ボストン茶会事件を引き金にコーヒーの文化が普及
お茶を密輸するくらい、イギリス植民地時代のアメリカでも紅茶文化は発展していました。でも今は、アメリカの喫茶といえばコーヒーが主流です。それにはこのボストン茶会事件までの一連の出来事が大きく関係しています。
ボストン茶会事件を引き起こすきっかけとなった茶法に反対し、それまでは紅茶を愛飲していた人々も紅茶をボイコットする様になり、代わりにコーヒーが普及しました。
その不買運動の名残でしょうか。今でもアメリカには紅茶党よりもコーヒー党のほうが多いようです。
今回はイギリスとアメリカにだけスポットを当てましたが、この当時スペイン、オランダなどの西欧諸国も茶の通商にしのぎを削っていました。そこに独立したアメリカも加わり、運搬方法、貿易の仕方など新たな面での進歩にもつながりました。
一国の独立戦争まで引き起こしたお茶。
当時の国際交易品の中で、お茶は最も重要なものであったことがよくわかりますよね。