紅茶の入れ方

安心・安全な国産紅茶べにひかり・べにふうきとは

国産の紅茶の歴史

日本でのインド式紅茶栽培は良い結果を出すことが出来るようになりました。九州や四国を中心に50トンほどが作られるようになってさらに紅茶生産率は高くなっていきました。

1892年 約150トンの生産量を達成できるようになり徐々に輸出も伸びていきました。山の中で自生している茶葉を利用していた時代にはその茶葉を利用していたので高品質であるとはいいきれませんでした。そのために世界市場ではインドやスリランカの影響を受けていました。

1894年 日清戦争が勃発しました。

1904年 日露戦争が勃発しました。日本では戦争で戦っている間にインドやイスラエル、ジャワの茶業者が日本の紅茶市場に参入してきました。当然、日本の紅茶生産は減少し始めました。紅茶の輸出量も減少しました。

1929年 ニューヨークのウォール街で始まった大恐慌の影響を受けてロンドンの紅茶市場の取り引き価格が暴落しました。インド、スリランカ、ジャワの茶業者が輸出制限を実施をしてきました。この時には日本の紅茶の需要が増えてきて輸出量も順調に伸びてきました。

1933年 年間輸出量は39トンでした。次の年の1934年には年間輸出量は859トンに増えていきました。

1935年 年間輸出量2,265トンまで増加して2年前より60倍近い成長ぶりです。

1937年 年間輸出量6,350トンという空前の輸出量を記録を出しましたが中国との事変の拡大に伴い減産を余儀なくされました。

1945年 第2次世界大戦終戦には紅茶の輸出量は130トンまで落ちてしまいました。終戦後は復興とともに茶産業は急速に回復していきます。

1951年 「べにほまれ」「いんど」「はつもみじ」「べにたちわせ」などの品種はロンドンの市場にサンプルを送ってみたところ日本の紅茶が非常に高い評価を受けました。これらは紅茶用品種としては茶農林一号となります。

1953年 「べにほまれ」「いんど」「はつもみじ」「べにたちわせ」商品登録されました。

1954年 紅茶の国内生産量は7,210トンでした。次の年の1955年には国内生産量は8,525トンもの生産を挙げるまでになります。そのうち5,181トンを輸出するまでに回復しました。

1959年 10,000ヘクタールのおよぶ紅茶用の品種茶園の造成計画をたてはじめました。これらの計画の目的は紅茶の100%自給自足でしたが、紅茶の産業化推進は中断されずおえなくなりました。その理由としては日本の高度成長にありました。価格競争力を失なってしまいインドやスリランカなどの紅茶との国際競争において価格面で不利が拡大したことにあります。このことで国内消費者向けの茶園生産は緑茶のみになりました。

1969年に登録された幻の国産紅茶「べにひかり」

「べにひかり」の性質は耐寒性が強く、そのさっぱりとした味わいは日本人の嗜好に合うと期待されましたが、普及することはありませんでした。

1971年 紅茶輸入の自由化が実現しました。日本国内の紅茶生産は地場消費用にごくわずかな地域で少量が生産されていた時期が続きました。

1993年 「べにふうき」「べにほまれ」「べにひかり」が商品登録されました。「べにふうき」は華やかな香りを持っています。「べにほまれ」や「べにひかり」とともに国産の高品質紅茶用品種として期待されています。

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