紅茶タンブラー

アールグレイティーの名前の由来やイギリスの紅茶の歴史と文化

ベルガモットという柑橘系の香りを付けた紅茶「アールグレイティー」を飲まれたことはありますか?今ではその名前もフレーバーも有名になったアールグレイですが、その由来をご存知でしょうか。「アール・グレイ」は英語で、Earl=伯爵 Grey=グレイ(名前)つまり、グレイ伯爵という意味です。イギリスには過去に政治家でもあったグレイ伯爵が実際に存在しす。では、なぜ、伯爵が紅茶の名前になったのでしょう。実は、今も諸説あり、まだイギリスでもハッキリと明確な答えは出ていないのです。

トワイニングとグレイ伯爵

1706年からの300年の長きに渡り紅茶を販売してきたトワイニングは、グレイ伯爵と代々親交があったこともあり、1830年代にイギリスの首相を務めた第2代グレイ伯爵の依頼があったことから、トワイニング社のリチャード・トワイニングがベルガモットのフレーバーの紅茶を作ったことで、その紅茶を大変気に入った首相がその自身の名をその紅茶に付けたとしています。

第2代グレイ伯爵

第2代グレイ伯爵はイギリスの首相を務めた人です。子供が16人いて、81歳まで生きました。選挙法や救貧法の改正などに関わりました。グレイ伯爵は大の紅茶好きだったことで知られていたようです。ヴィクトリア女王と同時代で、ヴィクトリア女王と関わった可能性のあるグレイ伯爵が、ヴィクトリア女王にアールグレイの紅茶を勧めたかどうかなどは詳しくはわかっていません。

トワイニングとジャクソン

当時ライバル社であったジャクソンは、ジャクソンこそがアールグレイの発祥だとトワイニングと争っていました。最終的にはトワイニングがジャクソンを買収したため、争い自体がなくなってしまい、実際にはどうだったのかわからなくなってしまいました。また、トワイニングやジャクソンだけでなく、茶商としてアールグレイティーを製造していた紅茶店は当時沢山あったことから、実際にグレイ伯爵がどこかに頼んだのか、そしてどこがアールグレイを最初に作ったのかを語る詳しい資料が残っていないため、どうだったのかはっきりとわからず、真実は謎に包まれたままです。

諸説あり、未だに謎めいたアールグレイの由来ですが、紅茶好きだった元イギリス首相のグレイ伯爵も飲んでいたアールグレイティー。81歳まで生きて、沢山の子供にも恵まれ、政治家としても活躍したグレイ伯爵の忙しかったであろう日々を、紅茶は毎日どのように癒していたのでしょうか。アールグレイティーとグレイ伯爵の関係、とても気になるところですね。

万病に効く東洋の秘薬は紅茶

イギリス文化に紅茶は欠かせません。是非、イギリスの紅茶の歴史を探ってみましょう。

1657年 イギリスで初めてお茶が売られた当時は「万病に効く東洋の秘薬」でした。

1662年 チャールズ2世とポルトガルの王女キャサリンが結婚をした際に、王女キャサリンが持参したものが中国のお茶とブラジル産の砂糖でした。当時たいへん貴重であったもので銀と同じくらいの価値がありましたが毎日、中国のお茶に砂糖をいれて飲む習慣をもたらしました。これはとても贅沢な習慣でしたが貴族社会にたちまち広がりました。

17世紀中ごろ イギリスの貴族の文化人たちの社交場であるコーヒーハウスで初めてお茶として振る舞いました。このコーヒーハウスが次第に大衆化し始めて一般人にも広がっていきました。これらはあっという間に食品店なでど売られるようになり各家庭でも紅茶を楽しむようになりました。紅茶はすっかり人々の生活のなかに溶け込みました。コーヒーハウスではコーヒー、茶、チョコレートのどれかを注文するとそれを飲みながら議論が交わされました。情報交換や取り引きが行われました。新聞が置いたあったりしましたが18世紀になると雑誌もおかれました。コーヒーハウスの客層は男性でした。イギリスでは男性が初めて紅茶を口にしたといえます。イギリス東インド会社が中国茶を輸入し始めた当時、茶は頭痛・胆石・風邪など万病に効く薬として宣伝していました。

イギリスでの紅茶の販売の歴史

1710年 すでにコーヒーハウスではお茶の小売りを始めました。

17世紀末から18世紀の初め メアリ2世とアン女王の時代に喫茶の習慣が始まりました。中国のお茶に西インド諸島産の砂糖を入れて中国製の磁器で飲む事が上級階級で流行りました。

18世紀初め お茶の貿易が盛んに行われていましたが次第に砂糖の生産が伸びてきました。砂糖の需要が多くなるにつれて紅茶の需要も増えていきました。この頃から紅茶の消費はグッと伸びます。紅茶に砂糖を入れて飲んでいたスタイルからミルクを入れて飲むようになってきました。どんどん一般民衆にも浸透して国民的飲料になっていきました。

1834年 東インド会社の中国貿易独占権が撤廃されました。貿易が自由化されました。

1840~42年 アヘン戦争で中国市場が開放されます。紅茶の大量輸入のために価格ダウンしました。その後、紅茶のイギリスの輸入は2倍に増えました。

1860年 紅茶の消費が爆発的に増えます。紅茶の輸入先が中国だったがインドのアッサム州、アッサム茶が発見されて以来、供給国に大転換が起こりました。ダージリンなどにプランテーション方式な大規模な資本主義的経営の茶園が拡大されたりセイロンでも茶園の開拓が進められました。お茶の輸送レースが行われるようになり大きな賞品が用意されたりしました。「お茶を早く運び、英国女王に貢献する」という名誉を得るためでもあったのでしょう。それぞれの海運業者はしのぎを削りました。当時はイギリスと中国での独断貿易でした。

19世紀 イギリスの植民地やインドやスリランカでお茶の栽培に成功します。その勢いはさらに増して19世紀末までには中国紅茶を凌駕するようになりました。当時中国のお茶、ダージリン、アッサムは世界の貿易のなかでも最も高価に取り引きされていました。イギリスの貴族たちが「アジアで生産されるお茶をいかに迅速に早く輸送できるか」と競い合いました。それぞれの国の課題でしたが毎年新茶の季節になるとその競争はさらにエスカレートしました。

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