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ロシアの茶文化とその歴史
「ロシアの大人は誰でもウォッカを一気飲みしている」と思われがちなロシアの雰囲気ですが実際はどうなのでしょうか?世界のお酒消費量では堂々6位の国です。またお茶の文化に対して独特なものがあるといいます。ヨーロッパ諸国とは異なるロシアのお茶文化とはどんなものでしょうか?イギリスの紅茶文化はヨーロッパの代表的なお茶の文化です。しかしロシアのお茶文化もロシアならではの素晴らしいものがあります。イギリスとは一風変わったスタイルにもかかわらず紅茶の世消費量はイギリスに続いて多い国だといわれています。ロシアでは茶の栽培はしていませんから輸入にたよっています。
ロシアの紅茶はジャムを入れて飲むのか
ロシアはとても寒い国なので温かい一杯のお茶は心と体をホッカホッカにしてくれます。熱いお茶を熱いうちに飲むための最高の方法を探しだしたロシアンティーはジャムをスプーンで口に運んで口の中で紅茶を混ぜ合わせるスタイルです。熱いお茶一杯にジャムを入れた容器が用意される理由がここにありますね。ジャムの代わりの砂糖はハチミツを用意する場合もあります。またジャムはウォッカやブランディーを加える事もあります。砂糖が貴重だった時代にこのようなスタイルでお茶を飲んでいた時代があったようですが現在はロシアのカフェでもミルクティーやレモンティーも楽しめるようです。
ロシアの紅茶の金属製湯沸かし器「サモワール」
お茶会ではテーブルの中心にサモワールが置かれます。その周りには小さめのティーポットが可愛らしく置かれます。ティーポットには濃い目の紅茶が作られる理由はサモワールで沸かされたお湯を継ぎ足しながら好きな濃さに調節できるからです。それぞれが好きなスタイルで飲めるカッコイイ文化ですね。サモワールは特別にできていてティーポットが乗せられるようになっています。ティーポット自体を蒸気で温める事が出来ようになっています。寒い国ならではのスタイルですね。特別な作法がないかわりに長い時間、ゆっくりとお茶を楽しむ事がロシア式なのでしょう。
ロシアの紅茶が貿易されたルート
大航海時代がヨーロッパへお茶を運んだとするならばロシアへお茶を運んだルートはモンゴルやシベリアを経由した陸上ルートとされています。
1638年 ロマノフ朝初代皇帝ミハイル・ロマノフの時代、モンゴルの王、アルタン・ハンから茶葉200袋が贈られたと記録されています。
1635年 フランスへの伝来がされいます。
1650年 ドイツやイギリスへの伝来がされていることをみるとロシアに伝来されている時代も同じ時期であるといえます。
「万里の茶道」はロシアと中国を結ぶ交易路
中国の湖北省、河南省、山西省、内モンゴル自治区を経由し、ロシアのサンクトペテルブルク、イルクーツク、キャフタ、ノボシビルスクなどの都市を結ぶ壮大な交易路が万里の茶道のルートです。このルートはシベリア鉄道が開通するまでの約200年間にわたって使われました。おもな役割りはお茶の貿易はもちろん様々な文化の交流や経済の交流を支える重要な役割りを果たしていました。この時代は紅茶の価格はとても高価なものでした。シベリア鉄道が開通する事で紅茶の価格は一般市民が楽しめる価格になりました。軍艦の中でティータイムが設けられるほど身近なものになりました。